ご挨拶
代表取締役
川合 大無
経歴
東京農業大学卒業。ニチモウ株式会社、バリューコマース株式会社、株式会社サイバーエージェントを経て、2004年1月株式会社シースタイルを設立し、代表取締役に就任。2006年よりバーティカルメディア事業をスタートし、大阪・福岡へも拠点を拡大。2018年6月、リビン・テクノロジーズに社名変更。コンパス
「コンパス」は、「目的地」「基本精神」「行動規則」「2020年ビジョン」の4項目で構成される当社の根本となる考え方や目標の集合体(全体方針)です。全ての項目が目的地へ繋がっています。リビン・テクノロジーズ株式会社の方位磁針でありナビゲーションがコンパスです。
【目的地】我々が本当に目指している到達点
インターネットサービスメーカーとして、人々の生活に密着した手放せないサービスを提供し、世の中に必要不可欠な企業になる
【基本精神】会社として最も大切にしている考え
・リビン・テクノロジーズは会社と社員が事業を通じて、どこまで成長できるかチャレンジし続けることが最高であると確信する
・インターネットを利用して人々の役に立つ商売を創り続け、社会に必要不可欠な存在になることが我が社の使命である
・自らがその一員であることを誇れる会社を、自らの力で作り続けることこそ我々の姿である
【行動規則】毎日の仕事の取り組み方についてのルール
・絶対に諦めてはいけない、諦めない人だけが実現できる
・できない理由を考えず、できる方法を考える
・難しい問題にぶち当たったら喜ぶこと、その経験と努力は次に必ず活きる
・事業が拡大する事こそ、社会の役に立っている証拠であると自信をもつこと
・現状維持を好まず、変化を望み、変化に適応すること
【2020年の我々】
・我々は、従来の常識を変えるサービスで不動産会社のビジネスを変革し、業界最大の加盟店組織を作り上げます
・我々は、住生活に役立つ情報と便利なサービスを提供し、「リビンマッチ」を日本屈指の知名度あるサイトにします
・我々は、日本最高の不動産関連ITサービスを提供するプロ集団へと成長し、世界進出を開始します
【目的地】我々が本当に目指している到達点
インターネットサービスメーカーとして、人々の生活に密着した手放せないサービスを提供し、世の中に必要不可欠な企業になる
【基本精神】会社として最も大切にしている考え
・リビン・テクノロジーズは会社と社員が事業を通じて、どこまで成長できるかチャレンジし続けることが最高であると確信する
・インターネットを利用して人々の役に立つ商売を創り続け、社会に必要不可欠な存在になることが我が社の使命である
・自らがその一員であることを誇れる会社を、自らの力で作り続けることこそ我々の姿である
【行動規則】毎日の仕事の取り組み方についてのルール
・絶対に諦めてはいけない、諦めない人だけが実現できる
・できない理由を考えず、できる方法を考える
・難しい問題にぶち当たったら喜ぶこと、その経験と努力は次に必ず活きる
・事業が拡大する事こそ、社会の役に立っている証拠であると自信をもつこと
・現状維持を好まず、変化を望み、変化に適応すること
【2020年の我々】
・我々は、従来の常識を変えるサービスで不動産会社のビジネスを変革し、業界最大の加盟店組織を作り上げます
・我々は、住生活に役立つ情報と便利なサービスを提供し、「リビンマッチ」を日本屈指の知名度あるサイトにします
・我々は、日本最高の不動産関連ITサービスを提供するプロ集団へと成長し、世界進出を開始します
創業の思い~事業開始とビジネスの転換
私が学生で就職活動をしていた時、これから数十年間という膨大な時間を投下する仕事は、自分の一生をかけ何か大きなことを成し遂げるためのものにしようと決意しました。
成し遂げる大きなことは「社会に影響ある偉大な事業や組織を作る」というのが人生の目標として美しく、やるに値すると思いました。
大きな目標は決めたものの、ビジネスについて何の知識もない私は、まず5年間で3つの会社でビジネスの実務経験を積んでから起業しようと決めました。
勤務した3社では、営業、企画、事務など任せられたあらゆる業務を習得し、約5年半経った2004年1月に当社を興しました。
当社はインターネット広告代理店として事業をスタートしました。創業当初、資金調達の方法が分からなかった我々は自ら出資した事業資金1,000万円が尽きる前に黒字化することが必須でした。幸運と努力が実りネット広告事業は半年で黒字化し、売上は増えていきました。
しかし、事業を続けていく中で、インターネット広告代理店ビジネスは、商品で競合と差別化することが難しいため、会社の成長に疑問を感じるようになりました。
規模、資金、人材などあらゆるリソースが足りない当社は、他社と競合するのではなく、当社しか売ってないもの、当社からしか買えないもの、サービスの規格や価格を自社でコントロールできるもの、すなわちオンリーワンの自社サービスを立ち上げないと当社の未来はないと考えるようになりました。
そして完成したのが不動産の一括査定サービスです。当時、不動産に深い知識はありませんでしたが、検索数や他社サービスなどを調査し、なんとかサイトを立ち上げました。バーティカルメディア事業のスタートです。
成し遂げる大きなことは「社会に影響ある偉大な事業や組織を作る」というのが人生の目標として美しく、やるに値すると思いました。
大きな目標は決めたものの、ビジネスについて何の知識もない私は、まず5年間で3つの会社でビジネスの実務経験を積んでから起業しようと決めました。
勤務した3社では、営業、企画、事務など任せられたあらゆる業務を習得し、約5年半経った2004年1月に当社を興しました。
当社はインターネット広告代理店として事業をスタートしました。創業当初、資金調達の方法が分からなかった我々は自ら出資した事業資金1,000万円が尽きる前に黒字化することが必須でした。幸運と努力が実りネット広告事業は半年で黒字化し、売上は増えていきました。
しかし、事業を続けていく中で、インターネット広告代理店ビジネスは、商品で競合と差別化することが難しいため、会社の成長に疑問を感じるようになりました。
規模、資金、人材などあらゆるリソースが足りない当社は、他社と競合するのではなく、当社しか売ってないもの、当社からしか買えないもの、サービスの規格や価格を自社でコントロールできるもの、すなわちオンリーワンの自社サービスを立ち上げないと当社の未来はないと考えるようになりました。
そして完成したのが不動産の一括査定サービスです。当時、不動産に深い知識はありませんでしたが、検索数や他社サービスなどを調査し、なんとかサイトを立ち上げました。バーティカルメディア事業のスタートです。
成長の最中にある我々~これからも、さらに
インターネット広告代理事業に会社の全リソースを割いていたものから、段階的にバーティカルメディア事業のリソース比重を高めていく作業には5年以上の歳月がかかりました。
この移行プロセスは、私がこれまで最も時間とパワーを費やしたもののひとつです。
また、単にサービス別売上構成比を段階移行させるだけではなく、その間、サービスの改善や、新サービスをいくつも立ち上げメディア運営の経験を積んでいきました。
バーティカルメディア事業にほぼ全てのリソースを集中させ終わると、一気に成長スピードが速まり、ビジネスが急拡大しはじめました。今もその最中にあります。
20年前に一生をかけると決めた「社会に影響ある偉大な事業や組織を作る」は、当然に継続中です。当社が、偉大な事業や組織になれる可能性は着々と高まっていて、夢ではなく、本当に実現できると思えています。
「インターネットサービスメーカーとして、人々の生活に密着した手放せないサービスを提供し、必要不可欠な企業になる」
これは、コンパス(企業理念)にある我々が本当に目指している到達点です。
我々は、サービスの質を高め続け、より多くの人々の役に立つことが、我々の目指す到達点に近づくことであり、我々の存在意義であり、社会の進歩に貢献することだと確信しています。
この移行プロセスは、私がこれまで最も時間とパワーを費やしたもののひとつです。
また、単にサービス別売上構成比を段階移行させるだけではなく、その間、サービスの改善や、新サービスをいくつも立ち上げメディア運営の経験を積んでいきました。
バーティカルメディア事業にほぼ全てのリソースを集中させ終わると、一気に成長スピードが速まり、ビジネスが急拡大しはじめました。今もその最中にあります。
20年前に一生をかけると決めた「社会に影響ある偉大な事業や組織を作る」は、当然に継続中です。当社が、偉大な事業や組織になれる可能性は着々と高まっていて、夢ではなく、本当に実現できると思えています。
「インターネットサービスメーカーとして、人々の生活に密着した手放せないサービスを提供し、必要不可欠な企業になる」
これは、コンパス(企業理念)にある我々が本当に目指している到達点です。
我々は、サービスの質を高め続け、より多くの人々の役に立つことが、我々の目指す到達点に近づくことであり、我々の存在意義であり、社会の進歩に貢献することだと確信しています。